「いじめ」を記録する
- 和弥 江川
- 2020年6月2日
- 読了時間: 1分
更新日:2020年6月16日
2014年のいじめがあった翌年から、学校ではいじめについて、どんな考えを持っているのか?禁則という指導は、どのような意思決定プロセスから生まれたのか?ひたすら記録を情報開示請求している。
学校からでてき文章でわかったことは、生徒について教師同士が議論をした記録がないということ。私や本人が教師と何を話したのか?教師の側からの記録が出てくる。(相当の時間が経た後で記憶から作成されたものも多い?ので事実関係の誤認も随所に見てとれる。これは、生徒の指導に関する記録というよりは、「事実は把握していましたよ。」という文書だと。
教師同士がいじめの問題をめぐって、試行錯誤したり、指導について議論を繰り返した軌跡が見えない。もしかしたら、生徒の指導をめぐる議論が学校にないのか?ふと疑問が浮かぶ。教師としての醍醐味は、困難な事実を受け止めて生徒と一緒に考えることではないのか?これは勝手な自分の教師イメージであることは後から気づく。
目的を見失う!事が残念な結果を導いている。
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