「いじめ」の要因となった、休み時間以外の生徒の外出を許さない禁足措置についての鑑定書を全文掲載します
- 和弥 江川
- 2024年1月8日
- 読了時間: 28分
福島県会津坂下町立坂下中学校
禁足懲罰事件に関する学術的鑑定書
令和4(2022)年11月30日
喜 多 明 人
(早稲田大学名誉教授)
学術的鑑定書提出者について
〇職歴等
1949年7月21日東京都に生まれる。早稲田大学大学院文学研究科教育学専攻博士課程満期退学後、立正大学教授、早稲田大学文学学術院教授を経て、現在早稲田大学名誉教授。文学博士(早稲田大学1987年)。学校法人東京シューレ葛飾中学校理事(非常勤)を経て評議員。NPO法人東京シューレ暫定理事長(2021年12月まで)を経て、現在代表理事。
これまで、東京都足立区立高等保育学院、立正大学保育専門学校、熊谷市看護専門学校、東海大学、九州大学、名古屋大学、愛知県立大学、上智大学、東京国際大学、国立公衆衛生院などの講師を歴任。大学院講師として、立教大学大学院、東洋大学大学院福祉社会デザイン研究科子ども支援学担当、法政大学法学部教育法演習担当。
〇学会活動
日本教育法学会理事。同学会事務局長(2001年5月まで)、同学会編『日本教育法学会年報』編集委員、同学会学校事故問題研究特別委員会委員長、日本教育政策学会理事。日本教育学会『教育学研究』編集委員、子どもの権利条約総合研究所顧問(前代表、同研究所編『子どもの権利研究』編集委員長)など歴任。
1996年、学校事故問題研究特別委員会事務局長として『学校事故の救急体制・安全対策に関する調査』を実施、2004年5月、同委員会委員長として「学校安全法」要綱案を公表。現在の学校保健安全法に至る。
〇社会活動
子どもの権利条約ネットワーク代表。多様な学び保障法を実現する会共同代表(2021年9月まで)。チャイルドライン支援センターアドバイザー(元副代表)、学校安全全国ネットワーク代表。
<地元、東京・目黒での活動>
チャイルドライン東京ネットワーク代表、めぐろチャイルドライン代表。めぐろ子ども支援ネットワーク代表。子どもの権利条約東京市民フォーラム代表。目黒区子ども条例を考える区民会議会長を務める。
<自治体支援の活動>
川崎市子どもの権利条例調査研究委員会座長、同市子ども会議推進委員会等の条例関連役員を歴任。高浜市子ども憲章検討委員会委員長、日進市・津市・茅野市・世田谷区アドバイザー、長野県子どもの育ちを支えるしくみを考える委員会委員長、愛知県知多市子ども条例検討会議会長、足利市中学生就労事故第三者調査委員会委員長等を経て、現在、小金井市子ども子育て会議委員、武蔵野市子どもの権利に関する条例検討委員会委員長。
〇主な著書
■単著
「学校環境と子どもの発見」(エイデル研究所・1983)
「学校施設の歴史と法制」(エイデル研究所・1987)
「新時代の子どもの権利」(エイデル研究所・1990)
「わたしたちの独立宣言」(ポプラ社教養文庫27・1992)
「新世紀の子どもと学校」(エイデル研究所・1995)
「学校災害ハンドブック」(草土文化・1996)
「活かそう!子どもの権利条約」(ポプラ社・1997)
「人権の絵本」3巻<それって人権?>4巻<人権宣言>(大月書店・2000)
「わたしの人権みんなの人権」3巻「意見を言ってまわりも自分も変わる」(ポプラ社・2004)
「子どもの権利―次世代につなぐ」(エイデル研究所・2015)
「ぼくの最終講義録」(エイデル研究所・2020)
■編著
「現代の教育原理」(総合労働研究所・1979)
「学校安全への提言」(東研出版・1981)
「資料・道徳教育の研究」(北樹出版・1982)
「これからの教育原理」(相川書房・1983)
「教育条約集」(三省堂・1987)
「子ども白書」1992年版(草土文化・1992年版以降)
「子どもの権利教育マニュアル」(日本評論社・1995)
「まんがで学習-よくわかる子どもの権利条約事典」(あかね書房・1995)
「子どもの参加の権利」(三省堂・1996)
「検証 子どもの権利条約」(日本評論社・1997)
「子どもの人権大辞典」(エムティ出版・1997)
「みんなの権利条約」(草土文化、喜多ゼミ共編著・1997)
「人権教育をつくる」(大月書店・1997)
「学習 子どもの権利条約」(日本評論社・1998)
「教育法規新事典」(北樹出版・1999)現在まで)
「解説 教育六法」2000年版(三省堂・2000年版以降)
「新解説 子どもの権利条約」(日本評論社・2000)
「子どもオンブズパーソン」(日本評論社・2001)
「川崎発・子どもの権利条例」(エイデル研究所・2002)
「現代学校改革と子どもの参加の権利」(学文社・2004)
「子どもにやさしいまちづくり」(日本評論社・2004)、同第2集(2013)
「<提言>学校安全法」(不磨書房・2005)
「子どもとともに創る学校」(日本評論社・2006)
「イラスト版子どもの権利」(合同出版・2006)
「学校安全を見る目に確かさを」(成文堂・2006)
「なぜ変える! 教育基本法」(岩波書店・2006)
「子どもの条例ハンドブック」(日本評論社・2008)
「解説 学校安全基準」(不磨書房・2008)
「逐条解説子どもの権利条約」(日本評論社・2009)
「子どもの権利-日韓共同研究」(日本評論社・2009)
「免許更新では教師は育たない-教師教育改革への提言」(岩波書店・2010)
「学校安全ハンドブック」(草土文化・2010)
「解説子ども条例」(三省堂・2012)
「子どもの権利 アジアと日本」(三省堂・2013)
「子どもにやさしいまちづくり 第2集」(日本評論社・2013)
「新訂版 ガイドブック教育法」(三省堂・2015)
「みんなの学校安全―いのちを大事にする社会へ」(エイデル研究所・2016)
「子どもの学ぶ権利と多様な学び―誰もが安心して学べる社会へ」(エイデル研究所・2020)
「今だから明かす条例制定秘話」(エイデル研究所・2021)
「多様な学びを創るー不登校支援から多様な学び支援へ」(東京シューレ出版・2021)
■監修書
「子どもへのハラスメント」(PHP研究所、編集:ドリム社・2021)
「きみはどう考える?人権手なんだろう」全3巻(汐文社、編集:童夢・2021)
福島県会津坂下町立坂下中学校・禁足懲罰事件に関する学術的鑑定書
学術的鑑定書提出者について 2
目 次
1 問題の所在
ーなぜ「禁足懲罰事件」なのか 6
2 本件を検討する視点と分析基準 7
3 禁足懲罰方法が不適切な指導である理由
ー禁足実施当時の『生徒指導提要』に立脚してー 7
1)調査委員会は禁足懲罰を「一定の合理性」があると容認 8
2)禁足懲罰方法が不適切な指導である理由
ー禁足実施当時の『生徒指導提要』に立脚してー 8
① 禁足措置による「型にはめる」強制行為は、自発性・自主性の育成を
阻害する可能性がきわめて高いこと 9
② 禁足など、懲罰による生徒指導自体が避けられるべき指導であること 9
③ 導入の段階で、問題の他律的な抑制の指導もありえるが、本件の他律
的な懲罰、14日間の長期の行動規制は該当しないこと 9
④ 禁足懲罰により集団規律を正す指導は、生徒指導提要が求める校内規律、
すなわち生徒が自主的に規律を守る方法として不適切であること 10
⑤当該保護者との話し合い、相互理解なしの一方的な禁足実施であったこと 10
4 禁足懲罰措置による生徒の人権、尊厳の侵害 11
1)現行の憲法・子どもの権利条約法制上、許されない懲罰方法 11
2)「全体責任」としての禁足懲罰の不当性 12
3)禁足懲罰に伴ういじめ・暴言等による二次被害としての学習権・尊厳の侵害 13
5 禁足懲罰による生徒被害に関する学校の救済・防止義務、安全配慮義務 13
別表 本件事件の事実経過 16
1 問題の所在
ーなぜ「禁足懲罰事件」なのか
福島県会津坂下町の町立坂下中学校で起きた禁足懲罰事件(以下、本件という)は、当初は、江川綱弘(以下、被害生徒という)へのいじめによる不登校(卒業後に自死)事件とみられてきた。本件被害生徒に対する教育委員会等の行政的措置も、被害生徒の不登校に関する調査・回答書(平成27(2015)年9月18日、10月7日)として扱われ、その後は、被害生徒に関する「生徒いじめ事故発生報告書」(平成29(2017)年1月13日、2月6日]を経て、会津坂下町教育委員会に付属する「いじめ問題専門委員会答申書」[平成30(2018)年7月31日)、最終的には、いじめ防止対策推進法30条2項に基づく「会津坂下町いじめ問題調査委員会調査結果報告」(平成31(2019)年3月18日)となった。
確かに本件は、いじめによる不登校の側面はあるが、それらは現象面にしかすぎない。本来問われるべきであったことは、被害生徒へのいじめ等の暴言、暴行およびそれに伴う不登校に追い詰めた坂下中学校の禁足懲罰措置にあったといえる。この措置は、坂下中学校1学年の全生徒(6クラス、160人余り)に対して、平成26(2014)年6月5日より18日まで、被害生徒がいじめ・暴行によって不登校になる(6月17日)まで、14日間にわたり実施してきたものである(被害生徒が不登校になる時期が遅ければ、それだけ禁足期間は長引いた可能性もある)。
禁足懲罰とは、「昼休み中、トイレ使用を除く外出を禁じ教室で学習すること」(坂下中学校長板橋健一『生徒いじめ事故発生報告(いじめによる不登校)』平成29(2017)年1月13日、2ページ)である。この禁足懲罰を決定した直接の理由は、入学して約1か月半、平成26(2014)年5月23日に被害生徒が理科室への移動中に落とした筆箱が、26日に1階トイレの清掃用具入れのバケツの中に雑巾をかぶせられた状態で見つかったことである(担任教師の記録より)。これをいじめであると重視した学年主任が5月30日に学年集会を開き、筆箱を隠した生徒の情報集め、再発防止の指導を行ったが、筆箱を隠した生徒は結局わからなかったこと、日ごろ、1学年の生徒が「落ち着きがない」ことから、学年の全生徒に広げて禁足の懲罰を課したのである。
この禁足懲罰期間において、結局筆箱を隠した生徒は見つからず、禁足に不満を持つ生徒の批判の矛先は被害生徒に向かうことになった。被害生徒が不登校になった翌日、6月18日に学年主任および担任教師は、被害生徒宅を訪問し、母親から、「本人は具体的な内容や生徒名は言わないが、トイレで暴言や暴行を受けたようだ」と発言。2日後の6月20日に来校した父親は、担任教師に対して、「夜大声を出すことがある、当分休ませる」と告げた。
以上の通り、坂下中学校が生徒指導として行った禁足懲罰措置が、被害生徒へのいじめ・暴行、そして不登校に追い詰めたことが容易に想像できる。
本件の被害生徒はその後ほとんど不登校状態(ただし父親が経営するフリースクールに通学)となり卒業後の平成31(2019)年1月9日、17歳で自死する事態となった。
本件は、以上のようなプロセスの理解のもとで、これをいじめ・不登校事件としてみるだけでなく、今日社会問題となっている「過剰叱責、行き過ぎた指導、不適切な指導による生徒自死事件」(「指導死訴訟」)に相当する事件とみられることから、「禁足懲罰事件」として鑑定することにした。
2 本件を検討する視点と分析基準
本件、禁足懲罰事件に関しては、平成31(2019)年3月18日に、会津坂下町いじめ問題調査委員会(以下、当該委員会という)が答申した『いじめ防止対策推進法第30条第2項に基づく調査結果報告』(以下、調査結果報告という)が現在までの最終的な結論部分となっており、そこで出された結論が問題となる。
当該委員会は、「本件において学校側が行った『禁足』措置は、生徒指導の一環として実施された」ものであり、「結果として生徒に自己存在感を与える機能や、生徒同士の共感的な人間関係育成の機能を果たすより前に、被害児童が不登校に至った経緯について大変遺憾であったと考えるものの、当該措置をもって生徒指導の方法や対応として「不適切」であったとまではいえないとの結論に至った」という(調査結果報告6ページ)。
その根拠として挙げているのが文部科学省『生徒指導提要』(平成22(2010)年3月、以下、『生徒指導提要』という)である。『生徒指導提要』は、「生徒指導の実践に際し教員間や学校間で教職員の共通理解を図り、組織的・体系的な生徒指導の取組を進めることができるよう、生徒指導に関する学校・教職員向けの基本書」としてまとめられたものであり(『生徒指導提要』まえがき)、当該委員会の調査報告書においても採用・言及されている。
以下、禁足措置が生徒指導として適切であったのかどうかを判断するため、生徒指導の基本として当然ふまえられておかれるべき内容として『生徒指導提要』の指摘を参照しながら検討していくことにする。
(以下の『生徒指導提要』に依拠した「禁足措置」の教育方法学的分析においては、三重大学の大日方真史准教授(教育方法学専攻)の協力を得た。)
3 禁足懲罰方法が不適切な指導である理由
ー禁足実施当時の『生徒指導提要』に立脚してー
当該委員会の調査結果報告では、『生徒指導提要』が生徒指導を「学校の教育目標を達成するための重要な機能の一つ」であることを取り上げて、①児童生徒に自己存在感を与えること、②共感的な人間関係を育成すること、③自己決定の場を与え自己の可能性の開発を援助すること」の3点をもって「生徒指導の三機能」(生徒指導学会『現代生徒指導論』2015)としている点を重視する。そして、この三機能に基づいて、以下の通り、「学校側の措置が適切であったかどうかの評価」を行っている。(調査結果報告8ページ)
1)調査委員会は禁足懲罰を「一定の合理性」があると容認
当該委員会は、以下の通り、この三機能を基準として、禁足措置に一定の合理性があると判断した。
ア 「禁足」措置における「事実を知っている生徒が先生に話すか、その生徒が加害者を申し出るように説得するか等加害者の心の葛藤を引き出すねらい」は、…「自己実現を図っていくための自己指導能力の育成を目指す」…ことにあたり、…・「生徒指導の機能として、機能③に該当すると考えられる。また、いじめられた生徒への共感を促す方法として、機能②も期待されたものといえる。」
イ 「『集団の規律を正すというねらい』は、生徒指導上の問題が4月より頻出していた背景もあることから、…中略…いじめられた個人の尊厳を守る意味では、機能①を果たすものといえる。
ウ 「『禁足』という懲罰的な指導だけでなく、リーダーづくりの取り組みや学年集会での講話、道徳授業において、生徒の自発的ないじめ防止を促す指導がなされていた。これらは、機能②を促し、機能③に該当すると考えられる。
エ 「『禁足』措置は、いじめに関する情報収集の一環としても実施された。…いじめに関する通常の聞き取りが難しい状況が当時あったとの背景も認められるところであり、「禁足』措置による情報収集には、一定の合理性が認められる。
以上のア、イ、ウ、エを根拠として、オにおいて、「以上の通りであって、本件における『禁足』措置は、生徒指導の一環として一定の合理性が認められる。」と判断したのである。
2)禁足懲罰方法が不適切な指導である理由
ー禁足実施当時の『生徒指導提要』に立脚してー
以上の通り、会津坂下町の第三者調査委員会の調査結果報告では、『生徒指導提要』にもとづき、禁足措置は容認できると結論付けた。このまま放置すれば、禁足懲罰の方法は『生徒指導提要』に基づく生徒指導として、会津地区内、福島県内、あるいは全国の学校にも利用されかねないことを危惧する。
果たして、『生徒指導提要』に即して本件をそのように理解してよいのであろうか。鑑定者は、むしろ真逆の結論に至っている。そのため教育方法学の専門家からの協力も得たが、通常の分析方法としても、『生徒指導提要』に照らせば容易に確認できるように、一般的に、生徒指導において「禁足の措置」はおよそ有効でも望ましくもなく、むしろ逆効果であり、かつ不適切であると判断される。
その理由を、以下の諸点から、『生徒指導提要』に即して指摘する。
① 禁足措置による「型にはめる」強制行為は、自発性・自主性の育成を阻害する可能
性がきわめて高いこと
本件における禁足実施の目的について、調査結果報告では、「心の葛藤を引き出すねらい」によるものであり、「自己指導能力の育成を目指す」ものと評価されている(9ページ)。しかし、当該目的が認められる場合であっても、当該措置の採用はそのまま肯定されるものではない。
『生徒指導提要』には、「生徒指導を通してはぐくまれていくべき資質や能力」の第一に「自発性・自主性」が挙げられ、それが「自らの人格の完成を自ら希求する児童生徒に必要となるものは、他者から強制されなければ行わない、他者から指示されないと行わない、他者と一緒でなければ行わない、などの受動的な姿勢や態度ではなく、能動的に取り組んでいく姿勢や態度」だとされている(11ページ)。
また、「自己指導能力の育成」に関して、「教育の方法として、「与える」、「導く」、「型にはめる」などの方法をそのまま用いたのでは、自発性や自主性を強要するということになりかねず、本来の意味での自発性や自主性をはぐくむことができない」ともされる(12ページ)。
禁足の措置は、生徒に対して教師が強力に「型にはめる」ものであり、強制であることは疑いなく、有効でないばかりか、自発性や自主性の育成を阻害する可能性が極めて高い。当該禁足措置によって、むしろ「自己指導能力の育成」は妨げられるとの判断が相当である。調査結果報告が当該目的から当該措置を肯定しているとすれば、論理の大幅な飛躍があると言わざるを得ない。
② 禁足など、懲罰による生徒指導自体が避けられるべき指導であること
『生徒指導提要』では、「生徒指導の領域で用いられやすい一つの方法は、賞罰によって行動を促したり、抑制したりする方法」であり、「これが自律性をはぐくむ考えとは馴染まないものであることは言うまでもありません」とされている(12ページ)。
他方、調査結果報告においては、本件における当該措置が「懲罰的な指導」(9ページ)であると認めている。生徒指導において、「罰」の採用は避けられねばならないのであり、その意味でも、当該措置の採用は否定されなければならない。
③ 導入の段階で、問題の他律的な抑制の指導もありえるが、本件の他律的な懲罰、14日間の長期の行動規制は該当しないこと
『生徒指導提要』では、「他律的に問題となる行動を抑えるというのは、導入としては意味がある」が、「そうした他律的な指導が常態化したり、それなしには持続しなかったりという状況があるとすれば、問題」だとされている(12ページ)。
調査結果報告は当該措置の「心の葛藤を引き出すねらい」が、「自己指導能力の育成」、「自己決定の場を与え自己の可能性の開発を援助すること」、「共感的な人間関係を育成すること」に相当するとしているが(8~9ページ)、これらは「問題となる行動を抑える」ことにはあたらない。したがって、他律的な「罰」としての当該措置を採用することは許容されない。
さらに、「導入の段階」としてすら肯定されない当該措置が14日間という長期間にわたって持続されたことも、強く否定されるべきである。調査結果報告が認める「集団の規律を正すというねらい」(8ページ)も、少なくとも、当該措置の14日間に及ぶ持続の理由にはなるまい。
④禁足懲罰により集団規律を正す指導は、生徒指導提要が求める校内規律、すなわち生徒が自主的に規律を守る方法として不適切であること
『生徒指導提要』では、「校内規律は、自らの意志ではなく校則や教員からの指示により「守らされているもの」という意識から、規範の意義を理解し、児童生徒自らが規範を守り行動するという自律性をはぐくむことが重要」(155ページ)だと指摘されている。
調査結果報告が認める「集団の規律を正すというねらい」(9ページ)に基づいてなされたという当該措置は、生徒自らが規律を守ることを促す方法だとは判断し難い。
⑤当該保護者との話し合い、相互理解なしの一方的な禁足実施であったこと
『生徒指導提要』において、「いじめられている児童生徒には「絶対に守る」という学校の意思を伝え、心のケアと併せて登下校や休み時間、清掃時間などの安全確保に努めます。必ず保護者との連携を図り、対応策について十分に説明し、了承を得ることもわすれてはなりません」(186ページ)とされる。
しかし、調査結果報告によれば、いじめに対する取り組みとしての当該措置は、「本人や保護者との話し合いがされないまま」(13ページ)、一方的に通告して実施されており、その点のみをもって判断しても、禁足措置の内容いかんにかかわらず、そもそも、いじめ問題に対する生徒指導として成立していない。
以上をふまえつつ、調査結果報告にならって教育課程全体(正確には学校の教育活動全体)に当該措置を位置づけると、たとえ学年委員会、学年合同班長会を通じて自主的・自治的活動を促す等していたとしても、強制から最も遠くあるはずの休み時間の、14日間におよぶ当該禁足措置が否定的な影響を多大に及ぼすものであったことは言うまでもないことであり、生徒指導の常識的な評価であってさえ、不適切な指導であったと判断されねばなるまい。
4 禁足懲罰措置による生徒の人権、尊厳の侵害
1)現行の憲法・子どもの権利条約法制上、許されない懲罰方法
以上のように生徒指導上の通常の評価としても、禁足懲罰という方法は許されない、といえるが、その問題性をより鮮明にすれば、当該学校の運営活動を律する日本国憲法や国連子どもの権利に関する条約(以下、子どもの権利条約という)など、現行人権保障法制上許されない行為であった、ということができる。
本件の禁足措置は、懲罰として実施されている。
戦前日本の天皇制国家主義の体制下であれば、「生徒の権利を剝奪する意味で<自由刑>的な罰」として、「遊息・遊歩禁止」「拘留・留置・謹慎」の罰が、「国家が子どもを罰する権限を打ち立てる」ために規則化されていたことが理解できる(明治8年~14年に制定された「府県罰則中の罰の方法」より引用、以下同じー水谷智彦「教師の懲戒権規定の前史」『立教大学教育学科研究年報』58141―158、2015-02-28、)。「遊息・遊歩」とは、「課業の間の自由時間」を指していた。明治6(1873)年の青森県小学校則では、学校が指定した禁止事項に違反した者の罰として、「第一、退校 第二、償 第三、丁役 第四、居残 第五、別座禁錮 第六、外出禁足 第七、自室禁足」と定められていた。当時の罰の与え方は、罪刑法定主義の形成期に当たり、教師が「其罪の軽重に従て」、例示された第一から第七の罰などから、禁止事項の違反行為に合わせて罰を選び与えていた様子がうかがえる。
戦後の憲法・教育基本法・子どもの権利条約法制下では、こうした自由刑的な罰、行動の自由を制限する罰は、人権侵害性の高い行為として否定されてきたことはいうまでもない。たとえば学校教育法11条で禁止されている「体罰」(「被罰者に肉体的に苦痛を与えるようなもの」)の参考事例として、「別室指導のため、給食の時間を含めて生徒を長く別室に留め置き、一切教室外に出ることを許さない。」など禁足的な懲戒例が挙げられていた(平成25(2013)年3月13日文科初1269局長通知)。
平成6(1994)年4月22日に日本政府が批准した国連・子どもの権利条約の第28条(教育への権利)の2項では、以下のように定められている(国際教育法研究会訳・『解説教育六法』三省堂、所収。なお、政府訳はschool disciplineを「学校の規律」、childを「児童」と訳している。)
子どもの権利条約第28条
「2、締約国は、学校懲戒(school discipline)が子どもの人間の尊厳と一致する方法で(in a manner consistent with the child's human dignity)、かつこの条約に従って行われることを確保するためにあらゆる適当な措置をとる。」
禁足という懲罰方法は、子どもの権利条約28条2項に言う「子どもの人間としての尊厳と一致する方法」でないことは明らかである。禁足という生徒の行動を一律規制する懲戒方法は明らかに「子どもの人間の尊厳」を損なう行為であって、子どもの権利条約28条違反である。
関連して、国連「人権教育の10年」行動計画(平成7(1995)年~平成16(2004)年)においては、教育方法の人権性、民主性について改善していくことが提言されてきた。体罰などの暴力的方法や、「見せしめ」、辱めの罰などの尊厳を傷つける方法は、たとえ教育目的に正当な理由があったとしても人権侵害行為である事実は変えられない。
2)「全体責任」としての禁足懲罰の不当性
では、現代という時代に、坂下中学校で、なぜ、禁足という懲罰を行ったのか。被害生徒の父親の「調査依頼」に対して、会津坂下町教育委員会は、当該校長、教頭を呼び、その「聞き取り」結果について次のように回答している。
「……前略……懲罰決定の経過については、非常に悪質ないたずらととらえ、学年集会を行ったが、名乗り出たり、情報を教えたりする生徒はなかったため、学年として、「分からなければ何をやっても良い」という雰囲気を作ってはならないと考え、特に中学校に進学し学年の始めでもあるので、「一人の行為が全体に迷惑になる」ということを示すため、本ケースは全体責任という形で生徒に対応したほうが良いとの考えから、学年主任の方針として禁足を行った。校長は、事前に馬場主任から上記の提案を受け、これを了承したとの説明を受けました。」(平成27(2015)年9月18日「江川綱弘君の不登校に関する調査依頼について(回答)」から)
被害生徒の側から見れば、落とした筆箱がトイレで見つかったという「事件」だけで、学年全体の問題を解決するための懲罰が課せられるという「大ごと」になってしまったのである。その懲罰の根拠は、「一人の行為が全体に迷惑になる」ということを示す「全体責任」という考え方である。
その結果、坂下中学校の1学年全体、6クラス、約160人の生徒全員に、14日間の禁足、本来は生徒が勉学の疲れを癒す昼休み等の休み時間を休ませずに自主学習時間とさせ、トイレ以外は教室を出ることを禁じたのである。各教室では担任が常時監視していたという。
しかも、禁足理由は、被害生徒が落とした筆箱をトイレの清掃用具入れに隠した犯人捜しであった。たまたま拾った生徒が清掃用具入れにふざけていれたのか、故意に隠されたのかは定かではない。仮に、このケースをいじめと判断したとしても、学級経営上の問題でもあり、これを安易に全学年にひろげて懲罰の対象に広げてしまったことも問題である。
禁足理由と無関係な他クラスの多くの生徒たちにとっては、2週間以上にわたって昼休みに禁足で休むこともできなかった。そのストレスのはけ口を被害生徒に向けたことも容易に想像できる。
たとえ正当な教育目的があったとしても、このような公平性を欠く理不尽な懲罰行為は、人間としての尊厳を傷つけ、行動の自由を規制するものであり、かつ、本来保障されるべき生徒の「休息する権利」(子どもの権利条約31条)を奪うものである。
3)禁足懲罰に伴ういじめ・暴言等による二次被害としての学習権・尊厳の侵害
禁足懲罰の結果、ストレスのはけ口となった被害生徒が、浴びせられた暴言や暴行により、「不登校」という手段を取らざるをえなかったことも理解できる。その結果、被害生徒は学習権を奪われるなど明確な人権侵害を受けたことになり、被害生徒にとっては二次被害というべきものである。この二次被害としては、学習権侵害のほか暴言等による生徒の名誉、尊厳の侵害状況をも作り出した。
被害生徒の精神的な苦痛がきわめて深刻であったことはいうまでもなく、被害生徒の父親が、生徒の「名誉の回復」のために、本件の調査、検証を要請したことも十分理解できる。
現代の公教育は、教育目的が正当であれば、方法は問わない、と言って済ませる時代ではない。かつては「行き過ぎた指導」という言い方で見過ごしてきた日本の教育界も、今日では「不適切な指導」「教育ハラスメント」として社会問題にしている。禁足懲罰という方法は、教育学に長く身を置く鑑定者としても「前代未聞」の行為であり、現代の時代において実施されていたこと自体が信じがたいことであった。
5 禁足懲罰による生徒被害に関する学校の救済・防止義務、安全配慮義務
以上述べてきたように、禁足懲罰の措置は、生徒指導の通常の判断として、かつ生徒の基本的人権を尊重する現代社会においても、けっして通用する教育活動とはいえないものであった。それは学年を預かる現場責任者も認めているところであった。
この禁足措置を決めて実行に移した学年主任は、平成29(2017)年被害生徒が卒業する2か月前に、被害生徒及び両親に対して、以下のような謝罪文を送っていた。
「江川綱弘君、江川家様へ
突然のお手紙で驚くかもしれませんが、書面にて今の私の気持ちを伝えさせていただきます。…中略…
1年生の時、禁足が原因となり、周りからも攻撃され、つらい思いをさせたことは本当に申し訳なかったと思っています。あのころ、なかなか落ち着きのない学年でいろいろなことが起こり、誰がやったのか申し出てこないとかたびたびでした。また嘘を平然とつくなど様々なことがあり、学年集会で話をしたり、学年道徳をやったり、学年委員会や班長会を行って意識付けを図り、リーダーを育成したりと学年を何とか良い方向に導こうと我々は頑張ってきました。先を見据えしっかりと育てようと本気で取り組んでいました。そんな中、綱弘君に対する筆箱隠しの件が起きました。この件は特に許せなかった事件でした。しかし、聞き取りをしたり、学年でアンケートを取ったり、学年集会をしたりしても誰も出てきませんでした。そこで学年全体で昼休み教室で勉強するという禁足を行いました。集団としては、生徒指導上の抑制がはたらくと思い実施しました。その結果、そのうっぷんがたまり、綱弘君へ矛先が向いてしまいました。この禁足は主任としての私の安易な判断でした。本当に申し訳ありません。その後禁足による指導は行っていません。 ‥‥‥‥以下略 」
すでに指摘してきたように、被害生徒の「筆箱隠し」問題は学級経営の問題でもあり、担任教員がまず対応すべきところであるが、クラス担任は講師の身分であり、学級を飛び越えて即学年の課題にしてしまった感がある。ただし、それが担任教員であれ、学年主任であれ、かつ本件禁足を容認した学校長であれ、被害生徒を守り切れなかったという意味で学校としての安全配慮義務が問われても致し方ないと判断される。
学年主任は、「この禁足は主任としての私の安易な判断でした。本当に申し訳ありません。その後禁足による指導は行っていません。」と被害生徒及び両親に謝罪している。しかし、本来は、禁足という不適切、かつ、人権侵害性の高い懲罰行為を学年全体で実施した当該学校の安全責任が問われるべきであったと考えられる。
関連して、平成27(2015)年11月26日付けで、坂下中学校校長名で、以下の文書が全生徒に配布された。
「生徒の皆さんへ
学校長名
江川綱弘君が学校に来られなくなっていることについて
……前略……禁足において、周囲から綱弘君に対し配慮に欠ける言動があり、それがきっかけで綱弘くんは学校に来たくても来られない状況になりました。
これについては学校としても配慮が不十分な点がありました。
個人の自由を制限する『禁足』が実施されれば、それを不満に思う人が現れ、綱弘君へ何らかの配慮を欠く言動が発生することも考えられたのですが、それに対する配慮が不十分であったため、それらの言動から子どもを守るべき先生方が綱弘君を十分守り支えることができなかったからです。
…・中略…・これらの経緯について皆さんに理解してもらうのに、1年以上の長い時間がかかってしまったことについて、学校教育の責任を負うべき学校長として綱弘君には大変申し訳なく思っています。」
今回の禁足懲罰事件は、学校長も述べている通り、「個人の自由を制限する『禁足』が実施されれば、それを不満に思う人が現れ、綱弘君へ何らかの配慮を欠く言動が発生することも考えられた」ことは疑いえないことであり、いじめや不登校の問題を含みつつ、その本質は禁足懲罰を長期間実施した学校の責任である。その意味では、全校生への通知という対応にとどまることなく、学校としての被害生徒の名誉回復・立ち直り支援、学習権の保護、さらには、学年主任の対応のごとき被害生徒、両親への直接的な謝罪などがあってよかったと思われる。しかし、その後の学校の対応に関しては、通常のいじめ対応、不登校対応のレベルを超えるものではなかった。少なくとも被害生徒の立ち直り支援のために、被害生徒が受けた精神的なダメージを考慮してカウンセラーを派遣するなど、立ち直り支援を手厚く行い、かつ被害生徒の卒業後の進路などの支援、父親が求めた被害生徒の「名誉の回復」措置についても時間をかけて取り組むべきであったと考える。
そのような対応に関して、被害生徒家族との間に多少の「行き違い」があったにせよ、本件禁足懲罰による人権侵害を発生させた学校の安全責任の重大性を認識できたはずであり、しかるべき対応を行うべきであったと判断する。
以上
別表 本件事件の事実経過
2014(平26)4月 1日 江川綱弘くん(以下、被害生徒という) 会津坂下町立坂下
中学校入学 (1年2組)
5月 23日 被害生徒、1時間目の休み時間、理科室に移動中に筆箱を紛失
同日夜 ソフトテニス部保護者会に母親出席、担任より現状説明。
母親より「見つからなければ見つからないでいいです」(小学生のころ、上級生にやられたとの情報提供)
26日 校舎1階トイレ清掃用具入れのバケツの中に雑巾をかぶせた
状態で発見
28日 第9回第一学年部会 担任が事情を聴くー被害生徒「泣いている」
原因は「言えない」「自分が考えを変えれば解消できる」
5月30日 学年主任が主導して「学年集会」(4限)開催
情報提供・再発防止の指導を行う
6月 1日 生徒指導担当教諭が校長に以下の2点を報告
①トイレから筆箱発見
②「本人もストレスがたまっているようだ。5月28日
(月)は泣いている様子が見られた。」
6月 5日~18日(14日間、1限~6限) 禁足懲罰措置の実施
1学年全クラスで、昼休みにトイレ以外教室から出ること
を禁止。自主学習。
(クラス担任は、休み時間に教室で監視)
6月 17日 被害生徒、不登校に(17日以降、不登校継続)
18日 学年主任、1年2組担任が家庭訪問
母親が「本人は具体的な内容や生徒名は言わないが、ト
イレで暴言や暴行を受けているようだ」と情報提供
20日 父親来校。1年2組担任と面談。以下の2点を告げる
①夜大声を出すことがある。
②当分休ませる。
同日 第12回第一学年部会
父親より「トイレで何かされているようだ」
23日 生徒指導担当が校長へ報告=禁足がプレッシャーに
①当該生徒が暴力や暴言を受けているようだと母親か
ら訴えがあった。
②禁足が本人にプレッシャーを与えたかもしれない。
欠席が続いている。
③夜大声を出すこともある。父親が担任に当分休ませ
ると伝えた。
放課後、1年2組担任が、被害生徒への暴言、暴行について
クラスの聞き取り
24日 父親来校。 1年2組担任と面談
①期末試験の欠席
②学校に対して恐怖感があり登校できない
禁足以降、周りの生徒の被害生徒への意識が変わったよ
うに感じている。(「誰も俺によってこない」とも話してい
る(担任記録)
③父親が経営するフリースクールへ通うこと、指導要録上の
出席扱い希望
同日より 被害生徒の不登校について、父親の希望を入れて、校長が
指導要録上の出席扱いとする
7月18日 担任教員の家庭訪問
担任から友人の情報、母親「友達が待っているのだから」というと、「そういう問題ではない」と学校へ行くことを頑なに拒否
12月22日 担任教員が家庭訪問、本人・祖母と三者面談
祖母から「ご迷惑をおかけしています」
2015年(平27)3月23日 修了式。痰飲教員が家庭訪問。新学期の登校を示唆。
3月25日~27日 1年2組担任、「長欠カルテ」を校長へ提出
2015(平27)年4月 6日 被害生徒、入学式に登校。
その後は父親の経営するフリースクールへ
<第2学年> 他校から異動したクラス担任(新担任という)
1学期 2回家庭訪問 2学期プリント手渡し
7月22日 新担任が父親経営のフリースクール訪問
<被害生徒が夏休みに父親に禁足不登校を打ち明ける>
=禁足原因不登校発覚ー担任記録より
8月 26日 不登校に至った経緯について父親が説明に来ると連絡あり
27日 父親来校 給食費などの財務処理
禁足不登校について説明。新担任は「知らない」との発言に、父親が抗議ー被害生徒の名誉回復のため文書要求
禁足による不登校を回答書に明記要求
8月 28日 学年主任、新担任が家庭訪問。回答書提出
ー母親から禁足時の暴言生徒知っている
8月 31日 父親から教育長宛、被害生徒の「不登校に関する調査依頼」
9月 18日 教育長から父親あて文書回答 禁足目的(「全体責任」明記
9月 24日 父親から教育長宛、被害生徒の「不登校に関する再調査(依頼)」
2015(平27)年10月 7日 教育長から被害生徒の「不登校に関する再調査依頼につい
て」(回答)
11月26日 学校長から全生徒に対して、被害生徒が「来られなくなっていることについて」という文書を配布
2016(平28)年
2月26日 新担任が被害生徒宅訪問
母親から「禁足についてどう思うか。最近も禁足をしているのか」と聞かれた。禁足は今はしていないと答えたところ、母親から「もしも禁足を今もしているのならば、先生達に自分達の思いが届いていなのではないかと思っていた。禁足をしていないならば、変な言い方だが、息子が不登校になったことも少しは報われると思う、と言われた(担任記録)
<第3学年> 毎週金曜日に担任が家庭訪問(4月~9月)
10月以降、家庭訪問断られる
12月16日 高校進学に関し三者面談(通信制高校希望)
2017(平29)年
1月 13日 校長、教育長宛「生徒いじめ事故発生報告書」(い
じめによる不登校)提出
1月末ころ 学年主任が被害生徒・家族に対して「謝罪文」提出(禁足という「安易な判断」を謝罪)
2月 6日 県教委へ、会津坂下町教育長「生徒いじめ事故発生報告」
2月 20日 教育委員会が、会津坂下町いじめ防止基本方針に基づき、いじめ問題専門委員会に対して、被害生徒へのいじめ、不登校に関して諮問。
<被害生徒、坂下中学校を卒業>
同年7月 31日 いじめ問題専門委員会、答申書を提出
10月 2日 会津坂下町いじめ問題調査委員会 設置
10月 23日 父親から「いじめ再調査に関する調査依頼点」作成・提出
2019(平成31)年
1月9日 被害生徒、17歳で自死。
3月18日 いじめ問題調査委員会が会津坂下町長へ報告書(答申)提出
3月27日 会津坂下町長名で、父親あて「いじめ問題に関する再調査の結果について」報告書を提出。
以上
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