「生きるのがむいていない」
- 和弥 江川
- 2020年6月1日
- 読了時間: 2分

つなぐが14歳の頃
2019年1月9日2:00ごろ 自室にて
つなぐは縊死(首をつって死ぬこと)をした。
私は、一瞬にして様々なことが頭をよぎった。その辛さ、真剣に生きたがゆえの悩み。よく自殺をした人は「心が病んでいる」、家庭環境の問題にすることがある。不遜なことだと思う。真剣に生きるから自分をせめる、生きる意味を問う。
どうでもいい人生を送っていたら悩まない。死に向かって行動などはしない。命をかけて、生きることを真剣に考えたから、自ら命を絶ったのだ。
彼が、携帯電話に残した最後の言葉は自分は「生きるのにむいていない」という言葉だ。とても意味が深い。さまざまな苦しみや辛さを解決できな自分。やり過ごせない自分。誰かの苦しみに、寄り添おうとする自分。どれもとても意味があると私は思っている。
彼の真剣さを、どう表現していいのかわからない。
ただ、今でも真剣に生きて、死を考えながら生きる子どもたりがいる。「死ぬな」というのはたやすい。死をかけようとまで、思うその行動に私たちは寄り添える大人でいたい。生きるということは、死と隣り合わせ。
自ら命を絶つ、ある意味そこに本質を見出した、生き方から一生をかけて学びたい。そして、私が学んだことを伝えたい。今、死を考える若者たちの何かになればと思う。また、学校制度、教育の本質の変化を促したい。つなぐは、命を中心にすえた教育が当たり前になることを祈っているに違いない。
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