いじめを認めない構造
- 和弥 江川
- 2020年6月4日
- 読了時間: 1分
更新日:2020年8月12日
つなぐの「いじめ」について、学校や教育委員会とやりとりをしていると、いじめはあって当たり前の事実、ではなく「あってはいけないこと」=「できれば認めたくないこと」になっていることがよくわかる。
「あの子は、特殊だからいじめられるんだ」
不登校気味、外国にルーツを持つこども、LGBTの問題、ひとり親、今の日本には、どの子もいます。多様さを押しとどめることなどはできない。むしろ多様である場を、つくってゆくには、どんどん活動をオープンにして外部の力を内部に入れ込んでゆき、多様性をエネルギーに変えてゆく必要性がある。
たくさんのエネルギーを持ったこどもたちは、そこにいる。どう向き合うのか?先生、保護者、地域、行政全てが問われている。スポーツで発散させる。教師が誘導する。そんなしかけだけで、この問題は解決しない。もっとこどもの内面との対話が必要だと思う。

雪の西会津をカンジキで歩いた
Comments