なぜ「つなぐ」という名前にしたか?
- 和弥 江川
- 2020年5月29日
- 読了時間: 2分

子どもたちとのキャンプで、ご飯を炊くつなぐ。キャンプネームは。もやしくん。
人と人をつなぐ存在であるように。そんな気持ちで「つなぐ」という名前をつけました。「繋ぐ」という字を書きたかったのですが、当用漢字にないという理由で、綱弘という漢字を使った名前にしました。後から画数が悪いとかいろいろ思ったのですが、自分の思いを優先してこの字をつけました。
私は、独身のころ民俗学の勉強会をしておりました「繋ぐ塾」という名前です。自分は毎月1回のこの勉強会に非常に自分の存在が救われました。ここからとったのです。私は、我が子が生まれた時にたくさんの幸せをもらいました。
物語をもらいました。
どの子も生きているだけで価値があると思えたのも、綱弘の誕生があったからです。存在するという価値は、「何かをする」という価値をはるかにしのぐものだと思っています。何かをする。走る、勉強する。テレビを見る。遊ぶ。
人は、人間の行動に評価を入れて考えるので、勉強はいいけど、遊ぶのはダメ。走るのはいいけれど、ぼーっとしているのはダメ。いろんな価値基軸を勝手に持ち込んで子どもを評価しようとします。おおむね、そんなことは大人の勝手なエゴでしかありません。
自分の中から、自ずとやりたいことが生まれるのだとしたら、それは何かをやらされるよりはるかに幸せなことです。私は、そのことを妻と一緒に家族で大事にしてきました。はいはいが遅い、いつまでもオムツをしていて、自分でトイレにゆくのが遅い。そもそも走るのが遅い、とかを比べることは一切しませんでした。
息子は注意されない子どもでした。私を呼ぶときは「お前」と言います。私が息子を「お前」というからです。(笑)ほかの人がみれば、父親を、お前と呼び捨てにするなんて言語道断だと思います。
しかし、「お前」と呼び捨てにするから私を尊敬しなかったわけではありません。むしろ、私の仕事の最大の理解者であり、応援者でした。表面的にはわからない彼の悩みは自分の平和を周りが放っておいてくれないという悩みでした。
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