私たちは、この子の人生を生きて欲しいと願っていた
- 和弥 江川
- 2020年5月30日
- 読了時間: 1分
更新日:2020年8月14日

夏にスイカを食べる兄弟
私たち夫婦は、つなぐも弟も、誰かに遠慮したり気を使ったり、自分の行動をガマンするような時間の過ごし方をして欲しくはなかった。自分が思うことはどんどん言う。好かれるか?嫌われるか?は相手の判断だから、初めから人の顔色を伺うようなことをしない方がいいと思っていた。
私が高校2年で中退した時に、自分の父親は「世間体」が悪いと言ったことを覚えている。つまり息子の私よりも、世間の価値を優先したのだと映った。それ以来、心の中で私は家族に依存して考えるのはやめようと思った。自分の人生を生きることは、だれかと比べるようなものではない。自分の自分にとっての価値であり、尊厳である。
息子にとっても絶対的な時間を生きて欲しいと私は心からそう思っていた。彼の教育を巡っては、小さな頃から様々な意見もいただいた。おしっこを漏らしても遊び続けるつなぐへのアドバイスまでいただいた。私は、誰かに合わせるような生き方を親として全く望んでいない。おしっこを漏らしても、気にならないくらい夢中で遊ぶ我が子が可愛いと言った。その子にとって、大事なのは絶対的な自分なのだという考えは、今も変わらない。
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